2022年12月9日金曜日

メキシコ時代の大農園ペラルタ・アシエンダ|Peralta Hacienda【カリフォルニア#925】

アメリカ西海岸から見ると、プランテーション(Plantation)というものは、植民地の時代や南部を連想しがちである。ただ、このプランテーションを「大規模農園」の意味でとらえると、このカリフォルニアにも、ここがメキシコ領であった時代には、歴史上、アシエンダ(Hacienda)と呼ばれるものがあった。

 
  

アシエンダは、かつてのスペイン領での大土地所有の一形態とされている。厳密にはそうではないかもしれないが、ランチョ(Rancho)というのは、その小規模なものであるらしい。


このベイエリアにも当時はいくつかのアシエンダ/ランチョがあって、その一つが今のオークランドとその周辺地域を領有していた「ペラルタ・アシエンダ」(Peralta Hacienda)である。よく区別がわからないが、「ランチョ・サンアントニオ」(Rancho San Antonio)という名称もある。具体的には、私の住む町の隣町、アルバニー(Albany)からサンレアンドロ(San Leandro)までのかなり広い地域で、アラメダ郡(Alameda county)の一部にあたる。

その、いわば「ペラルタ氏領土」の領主であったペラルタ家の家がオークランドの地理的に中心ともいえる場所にある。今のダウンタウンや港のある場所とは全く異なり、BART(ベイエリア・ラピッド・トランジット|ベイエリアの通勤用鉄道)の駅でいえば、フルーツヴェイル(Fruitvale)に近い。残念ながら、いつでも誰でも気軽に訪れることができるような安全な場所とは言えない。

ここを訪れたころには、週に2回、オープン・ハウスがあって、係員が詰めていた。その日を選んで出かけると、古い屋敷の中の部屋を一つ一つ案内してくれた。それも、相当詳しく、早口で。半分くらい理解して、うなずきながらながら、案内されるままに従った。

屋敷の中には、当時の生活に想いを馳せるのに十分な、たくさんの資料や記録が展示されている。説明できるほどには詳しくはないが、一つ印象に残ったのは、当時のアシエンダ内での身分制度について。欧州本土生まれスペイン人の血がどれくらい混じっているかによって、上下関係が決まっていたという。当然、純粋なスペイン人は文句なしに上位であった。

敷地も建物もあまり広いとはいえないが、今はオークランド市が管理する公園となっている。アメリカ人やカリフォルニア人というよりは、旧メキシコ時代の遺産でなので、メキシコ系以外の人たちにとっては、おそらく「何それ?」という感覚なのかもしれない。

この場所にたどり着いたのは、一つは、古い探検ルートであるデ・アンザ・トレイル(De Anza Trail)を辿ってのこと。


そしてもう一つは、隣町との境、つまりは、アラメダ郡とコントラコスタ郡の境に、ランチョ・サンアントニオの領土はここまでだったことを物語る記念碑のようなものがあったことである。

 

ランチョ・サンアントニオ(Rancho San Antonio)と
ランチョ・サンパブロ(Rancho San Pablo)の境を表す標

上述のとおり、今は、残念ながらあまり安全面では保証できない地区にあって、土地勘のない人にはお勧めできません。後学のために、ぜひ行ってみたいという人がいれば、お供しますので、ご一報ください。



おそらく、ペラルタ夫人
窓から外を見るような様子で展示されていた




公園内にある四季ごとの様子を描いた絵巻のあるコーナー
いくらか風化しかけていた



2022年12月1日木曜日

ジェファソン・バックローズの廃刊に思う

アメリカ合衆国51番目の州になるはずだった州|ジェファソン州(State of Jefferson)の話

ジェファソン州のローカル情報誌「ジェファソン・バックローズ」(Jefferson Backroads)が2020年3月をもって廃刊(休刊)していることを知った。

このジェファソン州(State of Jefferson)というのは、カリフォルニア最北端の12郡とオレゴン州南部の7郡がまとまって51番目の独立した一つの州を作ろうという動きである。シャスタ山がそのほぼ中心になる。

ジェファソン・バックローズ誌サイト(https://jeffersonbackroads.com/)より

今に始まったものではなくて、この動きは、カリフォルニア州成立の頃から始まっていて、実際に、1941年にはこの動きが高まって、州の名前と知事を決めるまでになった。

ところが、その直後、あの「真珠湾」が起こってアメリカは戦争に突入し、ジェファソン州の誕生は立ち消えとなったようである。

その地域に住む人たちの情報誌として、シャスタ近辺の案内所などには置いてあったのをよく楽しみにしてページをめくったものだったが、それが今回廃刊に追い込まれたもの。原因はやはり、今回の感染流行だそうだ。感染流行というよりは、その対策のせいだといった方が正確かもしれない。


この手の無料配布の情報誌は、広告掲載が主な収入源だと思うが、人の移動がなくなった分、広告主もいなくなったのだ、と思いを馳せる。

毎月購読していたわけではないので、すべてに目を通したわけではないが、シャスタ周辺のまちやひとの歴史がよく掲載されているので、いい情報源として利用させてもらっていた。

過去10年間のバックナンバーは、いまでも、いつでもサイトで読んだり、ダウンロードしたりできる。

ジェファソン州の夢も、この情報誌も、また戻ってきてほしいと個人的には思う。

去年の年末に訪れて以来、燃料費の高騰やら、何やらで、まる一年行けずじまいである。以下は、何年か前のこの時節に訪れた時に撮ったシャスタ山周辺の様子である。