2023年3月22日水曜日

「北カリフォルニアからの便り」④ アメリカの旅の原体験(ちいさなにほん連載)

アメリカの旅の原体験

思えば、大きな旅のチャンスがやってきたのは、渡米2年目のことである。サンフランシスコから、ペンシルバニア州ピッツバーグへの引っ越しである。車に家財道具を詰め込んでの「大陸横断ドライブ」であった。

目的地のピッツバーグは、サンフランシスコからみてほぼ真東にある。距離はざっと2500マイル(4000キロ)で、約1週間かけた盛夏の旅であった。北米大陸の広さを実感することになる。

州間高速道路80号線をひたすら東へ走り、ユタ州ソルトレイクシティを過ぎたところで少し北に向かい、米歴代大統領4人の巨大彫刻のあるサウスダコタ州のマウントラッシュモアに立ち寄った。

そこから90号線を東進し始めてすぐ、車がオーバーヒートしたが、応急処置をしてもらって、そのままシカゴ方面に向かう。途中、「大草原の小さな家」の作者ローラ・インゲルスの家に立ち寄ったりもした。

ミズーリ川を渡って、シカゴに着いたのは週末の夜のことで、モーテルに空室がなくあわてたりもしたが、翌朝、ミシガン湖沿いにある公園で一息ついたりもした。

ピッツバーグは、そのシカゴから車で1日で行ける距離にある。

そのピッツバーグは、アメリカ生活のなかでも、今の仕事につながる場所でもあって、親しみのある町であるが、その2年後には、ニュヨークのマンハッタンに引っ越すことになる。

ピッツバーグでも、ニューヨークでも、ほとんど旅らしいことはしていない。今から思えば、勿体ない感もあるが、それはそれで仕方がなかったと思っている。

ニューヨークでの約2年が過ぎて、カリフォルニア州に戻ることになった。

まずは、ピッツバーグへ向かい、知人に別れを告げたり、見そびれていた場所を見たりした後で、本格的な復路についた。

今度は、往路より少し南の70号線を選んだ。また1週間かけての初冬の旅だった。

ミシシッピ川沿いにある西部開拓の拠点であったセントルイスでは、「ゲートウェイ・アーチ」に登った。その時に買い求めたアーチの小さな模型は今でも部屋に飾られている。

デンバーからは南下して40号線に向かうことにした。少し南にあるコロラドスプリングスで訪れた「ガーデン・オブ・ザ・ゴッズ」で買い求めたパノラマの写真も、それ以来ずっと部屋の壁に飾ってある。

とちゅう吹雪に遭遇しながらも、ニューメキシコ州のサンタフェとアルバカーキを無事に通過して、40号線に乗った。アリゾナ州のフラッグスタッフでお土産の買い物をすると、もうまもなくカリフォルニア州に入る。

その後、よく旅をするようになったのは、写真を撮るようになって、身近にあるヨセミテやシャスタ山によく出かけるようになってからのことである。

写真を本格的に撮り始めて間もない頃、あるプロ写真家から教えられて、今も守っていることがある。それは、大自然ばかりを撮るのではなく、見落としがちな「小さな景色」に目を止めるということである。

だいぶ昔の大陸横断の旅は、まともな写真こそ残ってはいないが、私のアメリカでの旅行の原体験になっていると思う。今の一つの夢は、その時に辿った米国西部の場所を旅して、小さな景色を撮り集めることである。


(写真)
セントルイスのおみやげ――ゲートウェイ・アーチ
セントルイスのおみやげ――ゲートウェイ・アーチ

コロラドスプリングスのおみやげ――ガーデンオブザゴッズとパイクスピーク


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「北カリフォルニアからの便り」③ カリフォルニアの「みち」と「まち」(ちいさなにほん連載)

カリフォルニアの「みち」と「まち」

写真を撮るようになってから、北カリフォルニア各地のいろいろな場所にでかけるようになっていった。はじめのうちは、鳥や花や風景ばかりを撮っていたが、目的地の行き帰りなどに立ち寄った小さな町や、歴史ある場所のことを知るにつれて、関心分野はしだいに広くなっていった。

いま夢中になっているのは「みち」と「まち」である。サンフランシスコや州都サクラメントのある北カリフォルニアは、歴史的にみて、いろいろな街道(みち)の終着点となっている。

サンフランシスコの町ができたのは、スペインの探検家デ・アンザの探検によって、ここに伝道所(ミッション)と砦(プレシディオ)が設置されたことが始まりで、それはまだ、ここがアルタ・カリフォルニアと呼ばれるスペイン領だった1776年のことである。今では、その辿った道がデ・アンザ国立歴史トレイルに定められている。また、当時建てられた21か所の伝道所をつなぐみちは、「エルカミノ・レアル」と呼ばれている。

また、サクラメントは、シャスタ山を源流として北カリフォルニアを北から南に流れるサクラメント川と、1848年に上流で金が発見されたアメリカン川とが合流する場所にある。オレゴンをめざして、すでに始まっていた西海岸へのワゴン(荷馬車)による移住は、ゴールド・ラッシュによって拍車がかかり、北カリフォルニアをめざしてくる人が激増した。その時に西に向かう人たちが辿った道が、「オレゴン・トレイル」であり「カリフォルニア・トレイル」である。

一夜にして興隆したカリフォルニアは、東部との交通・連絡手段が必要となり、そこで登場したのが、駅馬車(Stagecoach)や、ポニー・エクスプレス(Pony Express|1860~1861年)であった。このポニー・エクスプレスのルートも、国立歴史トレイルに定められている。

その後まもなく、大陸横断鉄道が開通したのは1869年のことで、この鉄道の終着駅(実際には始発駅)もサクラメントである。この開通に伴い、数か月かかっていた旅路も1週間に短縮された。

やがて、車中心の社会が訪れることになるが、その発端となったのが、フォードの組み立てライン導入と、ニューヨークとサンフランシスコを結ぶ初の大陸横断自動車道「リンカーン・ハイウェイ」(3,389マイル|5,454km)の開通であり、どちらも1913年のことである。その後、番号制の新しい国道システムや州間高速道路システムで置き換えられるが、今でも、各地に「リンカーン・ハイウェイ」の名称が残っている。シカゴとロサンゼルスを結ぶ名高い「ルート66」が開通したのは1926年のことである。

ほかにも、意中にある「みち」には、ラッセン国立火山公園から、シャスタ山を通って、クレーターレイク国立公園まで続く「ボルカニック・レガシー・シーニック・バイウェイ」や、ゴールド・ラッシュで栄えた町々をつなぐ「ゴールデン・チェイン・ハイウェイ」(州道49号線)や、シエラネバダ山脈の東側を南北に走る「エルカミノ・シエラ」などがある。

この夏に旅した時に出会ったのが、「レッドウッド・ハイウェイ」(国道101号線)で、この「みち」は、サンフランシスコから、オレゴン州境に近いクレセントシティを通って、オレゴン州へと入る、レッドウッドの森の中を走る。

こうした街道(みち)沿いにあった町々は、時代の流れにともない、あるものは交通の要衝や、観光地として栄え、またあるものは、時代のうねりに耐えきれず、地図から消えていった。その場所の歴史は、それを守ろうとする人たちの努力があってこそということもわかってきた。

そんな歴史の断片を、「みち」やその沿線の「まち」を訪れながら見つけては、ひとり楽しんでいる。


❏ ゴールデンチェンハイウェイ

コロンビア

ネバダシティ

❏ レッドウッドハイウェイ

ファーンデール

❏ エルカミノシエラ

ボディ










2023年3月21日火曜日

現金のみ(Cash Only)/現金不可(No Cash)

先日、ある大手コーヒーショップ・チェーンに行くと、入り口に「現金のみ」(cash only)の旨の貼り紙があった。コーヒー一杯くらいなら、日頃から現金で払うものと決めているから個人的には問題なかったが、なかには残念そうに引き返すお客さんの姿も見られた。

久しぶりに、コーヒーショップ巡りをしようと、最近になって地図でみつけたソラノアベニュー(Solano Avenue, Albany)にある店に行ってみることにした。

その店は園芸店の入口にあって、古いキャンピングカーを改造して店にしている、花や苗木に囲まれた、ちょっと雰囲気のいい店だった。狭いながらも店の前にはいくつかのテーブルがあって、ほぼ満席状態だった。

いつもどおりコーヒーをたのんで、代金を払おうとすると、うちは「現金は受け取れない」(no cash)とのこと。


この現金可/不可では、過去に苦い経験がある。

20年くらい前の話になるが、マンハッタンのレストランでおいしく食事をした後、支払いのだんになって、カードを出すと、「うちは現金のみだ」という。そこで、一人を店に残して、ATMに走ることになった。

また、ある料理店では、やはりそこも現金のみで、ある程度の現金は持ち合わせていたものの、チップをほとんど置いて帰れず、店の人ににらまれたりしたこともあった。これも、10数年前の話。

近頃は、どこでもカードで支払うことが普通になってきたものの、ルールは、例えば、10ドル以下は現金でとか、店ごとに違っていて、日頃からその店を利用していない限りわからない。おおまかには、「現金のみ」の店は、それなりの表示がしてある。

最近は、支払い方法のオプションが増えてきただけでなく、世の中もキャッシュレスの方向に向かっている。支払いの段になってお互いに困らないように、きちんと表示/表明してほしいものだと感じた。

初めて入る店では、ほんのちょっとしたことが、その店にまた来るかどうかを決めてしまう。ちょっとした気まずい出来事があったとしても、それを上回るものがあるならば、また行くことになるが。


支払いを終えて振り返ると、順番待ちの列は長く延びていた。きっと、常連客に愛されているいい店なのだろうと思う。レジの横にある大き目のチップ用のビンには、結構たくさんの現金が入っていた。

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2023年3月11日土曜日

フラット・タイヤ|flat tire

ある朝のこと、出かけようとすると、車のタイヤの一つ(後輪右側)がパンクして、完全に空気が抜けているのに気付いた。パンクのことをこちらではフラット・タイヤという。

すぐになんとかしないとと、それでも、スペア・タイヤには替えたくないなと、近くにあるオート・パーツの店まで早足ででかけて、応急処置用のインフレータを買ってきた。

最近の日本の車はスペアタイヤを積んでなくて、代わりにこのインフレータが装備してあると、どこかで聞いたことがあるのを思い出したからだ。

YouTubeで使い方を確認したり、説明書を読んだりしたうえで、使ってみたところ、途中までは空気は入った。でも、それ以上には膨らんでいる様子がない。それでも、ゆっくりとなら運転できる状態になったので、近くのガソリンスタンドまで行って、空気を通常の圧力まで入れて、なんとか走れる状態になった。そこで、今日の第一の目的地まで出かけて様子を見ることにした。

空気の抜けはなかったが、原因が気になったので、タイヤ専門の修理工場に持って行って、ちゃんと修理してもらうことにした。すると、問題のタイヤはかなり傷んでいることがわかった。予算のことを話すと、中古で質のいいものがあるというので、それに付け替えてもらうことにした。

前輪にはわりと質のいいものが付いていて、まだ当分大丈夫であるのに対して、後輪は右と左で違うものがついていたと指摘された。パンクしていない方は、まだ大丈夫とのこと。

すると、忘れかけていた記憶が蘇ってきた。

前輪は、たしか、何年か前の冬、マウント・シャスタで交換した。走行中にハンドルにブレが出始めたので、「家に帰る」のを待つよりは、思い切って現地で交換した。修理工場が週末の休日で閉まる直前にやってもらったのをよく覚えている。

もう一つは、イースタン・シエラに紅葉を見に出かけた帰り、後輪の片方が真っ暗な夜の国道でパンクしたこと。この時は、携帯電話のシグナルがはいったことが奇跡なくらい、近くに何もない場所での出来事だった。さすがにトリプル・エイ(AAA|米自動車協会)のロード・サービスを呼んで、近くの町まで運んでもらって、翌朝、修理をしてもらった。

今回のパンクは、その残りの一つのようだ。

この冬は、例年になく雨が多く、一般道路、高速道路を問わず、かなり傷み始めていて、孔があいている。それにパンクする前の日の夕方には、道路が一時的に川になるくらいの大雨に出会っったりして、何を踏んだかもわからないくらいだった。

考えて見れば、朝、空気が完全に抜けていたのは幸運だった。これが、渋滞中のハイウェイで起こっていたならと考えるとゾッとする。

無事に修理も終えて、すがすがしい気持ちで帰った後、午後からは、後回しにしていたスモッグ・テスト(Smog test|排ガス検査)を受けに行った。これを受けて合格しないと、運転できない簡易の車検のようなもので、比較的新しい車だと2年に1回、私の乗っている古い車だと毎年受けることになっている。

スモッグテスト専門の場所があるので、そこに持って行って、DMV(車両管理局)からの書類を見せれば、何の説明もいらずに作業をしてくれる。

待つこと10分弱、乗り付けた場所から、車をドックに移動することもなく、チェックが終わったらしく、「合格」をもらった。早さと簡単さには、ちょっと面食らってしまうくらいだった。

そういえば、カリフォルニアでは、数年後には、電気自動車しか販売できなくなるので、この人たちの仕事も、だんだんと減っていくのかなと思った。

でも、タイヤの方は、パンクしないタイヤが主流になるか、タイヤ自体のコンセプトがかわるかしない限りは、安泰のような気もした。

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