ブロデリック対テリーの決闘(Broderick–Terry duel)
「ドゥエル」(duel)という聞きなれない言葉を耳にして、気になって調べてみた。一言でいえば、「決闘」という意味である。決闘といえば、西部劇の中にでてくる、あの早撃ちガンマンのことだとばかり思っていた。
ところが、アメリカでは政治の世界でも、意見の違いを「決闘」で決めるということがあった。米国史上、最も有名なのが「ハミルトン対バーの決闘」で、これはジェファソン政権のときの出来事である。
むかしから、「判決のための決闘(決闘裁判)」(「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」)という考え方が背景にあったそうである。
やがて、判決のための決闘が減っていく一方、16世紀以降には個人間での名誉回復の手段として私闘の「名誉のための決闘」が増えていく。名誉のための決闘は特に上流階級の間で盛んに行われた。
ここカリフォルニアでも歴史に残る決闘があった。ちょうど、リンカーン政権のときで、カリフォルニアが奴隷州(slave state)としてではなく、自由州(free state)として州に昇格した後、南北戦争に向かう時期で、日本では幕末の頃である。
ブロデリック対テリーの決闘
日付:1859年9月13日
場所:マーセド湖岸付近、サンフランシスコとデイリーシティの境あたり
決闘の相手:
◦デイビッド・C・ブロデリック合衆国上院議員(United States Senator David C. Broderick)―奴隷制度廃止論者(abolitionist)、奴隷制度反対(antislavery)
◦デイビッド・S・テリー前カリフォルニア州最高裁裁判長(ex-Chief Justice David S. Terry, of the Supreme Court of California)― 奴隷制度支持(proslavery)
後に「アメリカの注目される最後の決闘」と呼ばれることになるこの決闘は、二人の共和党員によって行われた。
もともと二人は友人であったが、奴隷制(Slavery)に対する意見の違いから決闘に至る。
決闘は、ブロデリックの拳銃が暴発し、テリーの撃った弾は命中した。銃弾を受けたブロデリックは3日後に亡くなる。
この後、アメリカは、南北戦争(Civil War|1861-65)に向かっていく。
| カリフォルニアの史跡として登録されている |
Broderick – Terry Duel
ブロデリック対テリーの決闘
マーセド湖岸に近い、この東にある小さな谷間であった。
1859年9月13日の早朝のことである。
対戦相手は、米国上院議員デービッド・C・ブロデリックと、
カリフォルニア州最高裁判所裁判長デイビッド・S・テリーであった。
ブロデリック上院議員が致命的な傷を負った。この現場には、
記念碑と二人の位置を表す花崗岩の柱が立てられて標示されている。
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