| "Delta Life"の特集記事の一部 |
サクラメント・バレー、もう少し限定すれば、サクラメント・デルタには、ウォルナット・グローブやアイルトンなど、いくつか日本人移民の集落や痕跡が残されている。その中で、少し異色の人で、名を残した人がいたことを知った。それはちょうど、1年前のクリスマスのことだった。
訪れたサクラメント川沿いの小さな町アイルトンで、クリスマスの日にも関わらずオープンしていた喫茶店でもらった地域の情報誌「デルタ・ライフ」にその人の特集が掲載されていた。
牛島 謹爾(うしじま きんじ、1864年2月13日[文久4年1月6日] - 1926年[大正15年]3月27日)という人である。
この人は、アメリカに移民し、ストックトンの近くのジャガイモ農場で成功を収めた人である。「馬鈴薯王(ポテト・キング)」と呼ばれ、現地ではジョージ・シマの名で親しまれた。
ジャガイモの銘柄は「シマ・ファンシー(Shima Fancy)」であったが、おそらく今はもうない。サンフランシスコ大地震(1906年)の際には、大量のジャガイモを被災地に寄付したというエピソードも残っている。
1920年代の排日運動のあおりを受けて、経営は立ちいかなくなったが、その農場があった土地は、いまでも「シマ・トラクト」(Shima Tract|トラクトは、土地の区画を表す用語)と呼ばれ、地図にも載っている。
初の日系人百万長者として名をあげたが、晩年は日系人の権利を守るための運動を行った(1908-1925)。
調べていくうちに、この牛島謹爾さんは、私と同郷の福岡県久留米市の出身であることがわかった。
邸宅はバークレーのカレッジ・アベニュー沿いにあったそうだが、たぶんその痕跡はいまはもう残っていない。
また、サンホアキン・デルタ・カレッジには、「シマ」の名前のある建物があり、そこには、牛島謹爾さんについての資料が展示してあるそうだ(未訪問)。
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| ストックトンの博物館にあったパネルの一部 |
| 地元サンホアキン郡の著名人としてブロマイドになっていた |
【参考】
外国人土地法|Alien Land Act(1920年代)

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