2022年12月9日金曜日

メキシコ時代の大農園ペラルタ・アシエンダ|Peralta Hacienda【カリフォルニア#925】

アメリカ西海岸から見ると、プランテーション(Plantation)というものは、植民地の時代や南部を連想しがちである。ただ、このプランテーションを「大規模農園」の意味でとらえると、このカリフォルニアにも、ここがメキシコ領であった時代には、歴史上、アシエンダ(Hacienda)と呼ばれるものがあった。

 
  

アシエンダは、かつてのスペイン領での大土地所有の一形態とされている。厳密にはそうではないかもしれないが、ランチョ(Rancho)というのは、その小規模なものであるらしい。


このベイエリアにも当時はいくつかのアシエンダ/ランチョがあって、その一つが今のオークランドとその周辺地域を領有していた「ペラルタ・アシエンダ」(Peralta Hacienda)である。よく区別がわからないが、「ランチョ・サンアントニオ」(Rancho San Antonio)という名称もある。具体的には、私の住む町の隣町、アルバニー(Albany)からサンレアンドロ(San Leandro)までのかなり広い地域で、アラメダ郡(Alameda county)の一部にあたる。

その、いわば「ペラルタ氏領土」の領主であったペラルタ家の家がオークランドの地理的に中心ともいえる場所にある。今のダウンタウンや港のある場所とは全く異なり、BART(ベイエリア・ラピッド・トランジット|ベイエリアの通勤用鉄道)の駅でいえば、フルーツヴェイル(Fruitvale)に近い。残念ながら、いつでも誰でも気軽に訪れることができるような安全な場所とは言えない。

ここを訪れたころには、週に2回、オープン・ハウスがあって、係員が詰めていた。その日を選んで出かけると、古い屋敷の中の部屋を一つ一つ案内してくれた。それも、相当詳しく、早口で。半分くらい理解して、うなずきながらながら、案内されるままに従った。

屋敷の中には、当時の生活に想いを馳せるのに十分な、たくさんの資料や記録が展示されている。説明できるほどには詳しくはないが、一つ印象に残ったのは、当時のアシエンダ内での身分制度について。欧州本土生まれスペイン人の血がどれくらい混じっているかによって、上下関係が決まっていたという。当然、純粋なスペイン人は文句なしに上位であった。

敷地も建物もあまり広いとはいえないが、今はオークランド市が管理する公園となっている。アメリカ人やカリフォルニア人というよりは、旧メキシコ時代の遺産でなので、メキシコ系以外の人たちにとっては、おそらく「何それ?」という感覚なのかもしれない。

この場所にたどり着いたのは、一つは、古い探検ルートであるデ・アンザ・トレイル(De Anza Trail)を辿ってのこと。


そしてもう一つは、隣町との境、つまりは、アラメダ郡とコントラコスタ郡の境に、ランチョ・サンアントニオの領土はここまでだったことを物語る記念碑のようなものがあったことである。

 

ランチョ・サンアントニオ(Rancho San Antonio)と
ランチョ・サンパブロ(Rancho San Pablo)の境を表す標

上述のとおり、今は、残念ながらあまり安全面では保証できない地区にあって、土地勘のない人にはお勧めできません。後学のために、ぜひ行ってみたいという人がいれば、お供しますので、ご一報ください。



おそらく、ペラルタ夫人
窓から外を見るような様子で展示されていた




公園内にある四季ごとの様子を描いた絵巻のあるコーナー
いくらか風化しかけていた



2022年12月1日木曜日

ジェファソン・バックローズの廃刊に思う

アメリカ合衆国51番目の州になるはずだった州|ジェファソン州(State of Jefferson)の話

ジェファソン州のローカル情報誌「ジェファソン・バックローズ」(Jefferson Backroads)が2020年3月をもって廃刊(休刊)していることを知った。

このジェファソン州(State of Jefferson)というのは、カリフォルニア最北端の12郡とオレゴン州南部の7郡がまとまって51番目の独立した一つの州を作ろうという動きである。シャスタ山がそのほぼ中心になる。

ジェファソン・バックローズ誌サイト(https://jeffersonbackroads.com/)より

今に始まったものではなくて、この動きは、カリフォルニア州成立の頃から始まっていて、実際に、1941年にはこの動きが高まって、州の名前と知事を決めるまでになった。

ところが、その直後、あの「真珠湾」が起こってアメリカは戦争に突入し、ジェファソン州の誕生は立ち消えとなったようである。

その地域に住む人たちの情報誌として、シャスタ近辺の案内所などには置いてあったのをよく楽しみにしてページをめくったものだったが、それが今回廃刊に追い込まれたもの。原因はやはり、今回の感染流行だそうだ。感染流行というよりは、その対策のせいだといった方が正確かもしれない。


この手の無料配布の情報誌は、広告掲載が主な収入源だと思うが、人の移動がなくなった分、広告主もいなくなったのだ、と思いを馳せる。

毎月購読していたわけではないので、すべてに目を通したわけではないが、シャスタ周辺のまちやひとの歴史がよく掲載されているので、いい情報源として利用させてもらっていた。

過去10年間のバックナンバーは、いまでも、いつでもサイトで読んだり、ダウンロードしたりできる。

ジェファソン州の夢も、この情報誌も、また戻ってきてほしいと個人的には思う。

去年の年末に訪れて以来、燃料費の高騰やら、何やらで、まる一年行けずじまいである。以下は、何年か前のこの時節に訪れた時に撮ったシャスタ山周辺の様子である。






2022年11月26日土曜日

シエラの詩人ホアキン・ミラーが住んでいたオークランドの丘

オークランドの丘に、シエラの詩人と呼ばれたホアキン・ミラー(Joaquin Miller)が住んでいた地所がある。レッドウッド公園に隣接し、丘の中腹に位置するその地所は今は、オークランド市が管理する「ホアキン・ミラー・パーク」という公園になっている。

ミラー(1837年9月8日~1913年2月17日)は、カリフォルニアの詩人、ジャーナリストであり、環境運動家でもあった。ジョン・ミュア(John Muir|1838年4月21日 - 1914年12月24日)と同時代を生きた人で、風貌もなんとなく似ている。


「ザ・ハイツ|The Hights」と呼んだこの地所にミラーが住んだのは1886年~1913年のことで、ここに「修道院|The Abbey」と呼ぶ家を建てた。

地所内に75000本の植樹をし、さらには、モーゼ(Moses)、ジョン・フレモント(John Frémont)、ブラウニング夫妻(Robert Browning and Elizabeth Barrett Browning)のためにそれぞれモニュメントをたてた。

モーセのためのピラミッド(Pyramid to Moses)

ブラウニング夫妻(Robert Browning and Elizabeth Barrett Browning)
のためのモニュメント

フレモントのためのモニュメント(John C. Fremont Monument)

そのモニュメントを結ぶルートが、ハイキング・ループになっていて、ある程度の起伏があって、一回りするには40~50分はかかる。途中には、見晴らしの良い場所「ルックアウト・ポイント」や、ミラーが自分のために準備したものの、実際には使われなかった火葬場のある場所も通過する。

The Funeral Pyre

案内板に合った略図では、どこにあるのか見つけずらいところもあった。

ループの一番最後はフレモントのためのモニュメントである。その場所は、フレモントがそこに立って、海峡に落ちる夕陽をみながら、その海峡を「ゴールデン・ゲート」と名付けたとされる場所である。イスタンブールのゴールデン・ホーンにちなんだものといわれる。


この公園には、ウッドミンスター・サマー・ミュージカルズ(Woodminster Summer Musicals)という屋外演劇場もある。


ミラーのことを知ったのは、実はシャスタ山でのことである。シャスタ・シティー内のマウントシャスタ大通り沿いにある見晴台にある地図には、ミラーの詩からの引用がある。

"Lonely as God, and white as a winter moon,
Mount Shasta starts up sudden and solitary
from the heart of the great black forests of Northern California"
                                                                         ―Joaquin Miller
「神のように孤独で、冬の月のように白い、
シャスタ山は北カリフォルニアの深き黒い森の中から
突如として一人寂しく姿を見せる


またマクラウドにあるHoo Hoo Parkの一角には、ミラーの本を模したモニュメントがある。

  



ミラーがこの地所に住んでいた頃、日本からの訪問者があった。世界的に活躍した日本の詩人、野口米次郎(Yone Noguchi)である。この人については、別の機会に...


2022年11月4日金曜日

西暦1865年|アメリカの歴史の境界線

アメリカの歴史の本を見るとこの1865年がアメリカ史の前半と後半をわける分割点となっている。

◉1865年まで

植民地時代(Colonial Period)

  • 1600年代初期に東部海岸に初めて英国の永住入植地(permanent English settlements)が成立してから
  • 1976年に独立宣言書(Declaration of Independence)に署名するまでの期間

独立戦争(Revolutionary War|American Revolution)

  • レキシントン・コンコードの戦い(Battles of Lexington and Concord|1775年)~ヨークタウンの戦い(Battle of Yoketown|1781年)
  • パリ条約(Treaty of Paris|1783年)

憲法(Constitution)の制定

  • フィラデルフィア憲法制定会議(Constitutional Convention|1787年)
  • 批准(1788年)
  • 発効(1789年)
米英戦争|第二独立戦争(War of 1812)

好感情の時代(Era of Good Feeling|1816年~1824年)

メキシコ戦争(Mexican War|1846年~1848年)

南北戦争(Civil War|1861年~1865年)

  • アメリカ連合国(Confederate States of America|CSA)|合衆国を脱退した南部11州(奴隷州) と
  • アメリカ合衆国(United States of America|USA)|北部23州(自由州)との間での
  • 奴隷制の問題をめぐる戦い

◉1865年から

再建(Reconstruction|1865年~1877年)

  • 荒廃した南部の再建

金ぴか時代|金メッキ時代(Gilded Age;Gilded Era|1865年~1893年)

  • アメリカの産業革命
  • 資本主義が急速に発展
  • 大陸横断鉄道が完成(1869年)
  • 西部開拓期と重なる
禁酒法(Prohibition|1920年1月17日~1933年12月5日)
第一次世界大戦(World War I|1914年~1918年)
世界恐慌/大恐慌(Great Depression|1929年~1939年)
ニュー・ディール政策(New Deal|1933年)|FDR
第二次世界大戦(World War II|1939年~1945年)
ニューフロンティア(New Frontier)|JFK
偉大な社会(Great Society)|ジョンソン
冷戦(Cold War)


アメリカの政党

  • 連邦党(Federalist Party)|Alexander Hamilton|→米英戦争で痛手
  • 民主共和党(Democratic-Republican Party)|Thomas Jefferson
  • ホイッグ党(Whigs) → 党内南北分裂
  • 民主党(Democratic Party)|Thomas Jefferson
  • 共和党(Republican Party) ← Whigs Party(1850年代)
  • 人民党(Populist Party)
共和党穏健派と急進派の対立


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資料:
The Dictionary of Cultural Literacy
世界史の窓
Wikipedia ほか

2022年10月5日水曜日

切り倒されたデイビスのガンジー像|Vandalized Gandhi Statue in Davis, California

 デイビスという町にあるセントラルパークを歩いていた時、マハトマ・ガンジーの像があるのが目にとまった。それは、台座の上で、杖を片手に歩いている姿だった。市によって、2016年に設置されたものであるとのこと。

はじめて、この像を見た時から、「なぜこの町にガンジー像が」という疑問もあったが、その疑問は未解決のままたった。碑文によると、この町のインディアン・アメリカン協会とインド政府が寄贈主になっている。このあたりには、インド系の人々がおおいのだろうとぐらい考えていた。


デイビスは、サンフランシスコとサクラメントの間の80号線が通る、UCデービスのある学園都市で、セントラルバレーにおける農業研究の中心地ともいえる。

ガンジー(1869年10月2日~1948年1月30日[暗殺])は、インドの宗教家であり政治指導者で、「非暴力・不服従」を提唱して、世界的な人権運動に貢献し、「インド独立の父」とも言われている。

そのガンジー像が、去年(2021年)の1月に何者かによって破壊されたことを知った。

一昨年の夏くらいだったか、これまで英雄視されてきた人たちの銅像が世界中で公共物破壊(vandalism)の対象とされた時期があった。

たいがいは、その人物が活躍した時代やこれまでの間に考えられてきたことが、時代の流れと価値観の変化にともなって、「実は、こんな悪いこともした人だった」とか、「〇〇主義者」だったとか、新しい烙印を押されてのことだったように受け止めている。

この事件もその流れなのかはわからない。ともかく、平和・非暴力(アヒンサー)の象徴であるとされるこの人物の像を、非平和的・暴力的に破壊する人の気が知れないものだ。

破壊された年の夏、市は新しい銅像の設置を決めたそうだが、その後、どうなったかは定かではない。

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2022年10月4日火曜日

姉妹都市の証し|Evidence of Sister Cities

先日、バレーホ(Vallejo, California)の街を訪れたときに、最後にフェリーターミナルのあたりを歩いていると、一風変わった形をした日時計があった。

明石市が贈った日時計

碑文を読むと、明石市がこのバレーホ市に姉妹都市20周年を記念して、1988年10月9日に贈ったものである。文中には、明石が東経135度線上にある町であることも記されている。この町との時差を示す表も載せられていて、日時計が贈られたわけがわかる。

姉妹都市を記念する塔

世界中の他の町とも姉妹都市を結んでいることを示す塔もその近くにあった。


ところで、バークレーのマリーナの近くには、今は閉鎖されている桟橋があるが、その入り口付近にも「日時計」がある。その碑文を読むと、こちらは、堺市から贈られたものらしい。

バークレーマリーナにある日時計


たった2つの事例から判断するには無理があるが、日本人は姉妹血縁の証しとして、日時計を贈るのが多いのだろうか、とも思った。

このほか、リッチモンドのマリーナ・ベイ地区には、島田市との縁を記念する「シマダ・フレンドシップ公園」がある。

また、サンフランシスコのマーケット通りには、サンフランシスコと姉妹都市の世界各地の都市名と、その都市のある方向とそこまでの距離がわかるような標識塔があった。



ちなみに、私の出身の久留米は、カリフォルニアでは、モデストと姉妹都市の関係にある。

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バーバリー・コースト・トレイル|Barbary Coast Trail in San Francisco

バーバリー・コースト|サンフランシスコ

 「バーバリー・コースト」(Barbary Coast)という名前を初めて聞いた時、アフリカのあの「象牙海岸」を連想してしまった。当たらずとも遠からじで、かつてアフリカ北部に存在したバルバル人の住む国の海岸を「バルバリア海岸」といったが、このサンフランシスコにある海岸の名称は、それにちなむものであるらしい。

今でいえば、サンフランシスコの金融街、チャイナタウン、ノースビーチ地区などを、このトレイルは通過して、フィッシャーマンズワーフやハイドストリート桟橋あたりまで続く。

1949年のゴールドラッシュで、急に繁栄したこの町は、それまでの寒村から一変して、ギャンブルや売春など、さまざまな欲望がうずまく街になった。これは、さだまさしさんが「上海物語」という曲で歌いあげたころの上海の風景にも通じるものがあると思った。

こうして繁栄しつつあったこの町のようすは、1906年の大地震でいったん終わりを告げ、その後は方向性が変わったようである。建物はことごとく破壊され、その後に新しい街づくりが行わて、今に続いている。またこのあたりは、新しい文化の生まれたところともされている。

さて、今の港のある海岸線は、フェリービルを中心にきれいな曲線を描くが、この3.8マイル長のコースト・トレイルは街中を通る。フェリービルのあるあたりには、ゴールドラッシュのせいで、見捨てられた船がいくつかそのまま埋め立てられている場所もある。

いくら年中涼しいといわれるサンフランシスコの町でも、3.8マイルをいっぺんに歩くのは大変だったが、何年か前に、これをやってみた。現地で、地図を手に入れてから、と出かけたが、売り場はなく、予め調べておいた情報だけをたよりにまわってみた。

出発地点の造幣局(San Francisco Mint)と終着地点(ハイドストリートのケーブルカー終点付近)には「バーバリー・コースト・トレイル」と銘打った銘板が歩道に埋め込まれていて、その由来が語られている。


このトレイルは20か所の歴史的な場所を通過するが、途中の曲がり角や要所には、方向を示すマーカーが埋め込まれている。

帰り途は、(実際には乗っていないが)ハイドストリートからパウエルストリートまでケーブルカーで出発点まで戻れるようにコースが組まれている気の利いた歴史トレイルである。

(編集中…)


【資料】銘板より

Barbary Coast Trail|バーバリー・コースト・トレイル(翻訳予定

On May 12, 1848 Samuel Brannan rode through the streets of San Francisco waving a bottle of gold and yelling, "Gold! Gold! Gold from the American River!"  Struck with gold fever, almost every resident headed for the foothills, beginning the greatest migration in American history, the world famous Gold Rush.  In 1849 settlers and immigrants from around the world descended on the shores of Yerba Buena Cove.  Within a year San Francisco had been transformed from a pastoral village into a bustling port city.

To fully appreciate San Francisco's role as magnet of the West, it's helpful to journey back in time when daring exploits and earthshaking events forged a city on sand dunes.  The Barbary Coast Trail is a 3.8-mile walk and 20-minute cable car ride marked by a series of bronze medallions and arrows.  From the Gold Rush to the Earthquake and Fire of 1906 to the present, the trail traces the city's history and honors those individuals whose courage and creativity shaped San Francisco into a culturally rich and uniquely dynamic metropolis.

The southern end of the trail begins at the Old U.S. Mint at Fifth and Mission Streets and extends to Aquatic Park near Fisherman's Wharf.  Each end of the trail is connected by the Hyde-Powell cable car line.  There is also a six-block loop on Nob Hill and a satellite site at Mission Dolores.

The Barbary Coast Trail connects twenty historic sites, including the original shoreline of Yerba Buena Cove, the birthplace of the Gold Rush, Jackson Square Historic District, the Pony Express, the oldest cathedral west of the Rockies, the first Asian neighborhood in America, the largest collection of historic ships in the U.S., and several local history museums.

Down Gold Rush-era streets and Chinatown alleys, past Bonanza King mansions and Barbary Coast saloons, the trail follows the streets of old San Francisco to a city built on golden dreams, the City by the Bay . . .

The Barbary Coast Trail is a project of the San Francisco Historical Society

 


沿道の歴史的な場所

① サンフランシスコ造幣局|San Francisco Mint
② マーケット通り|Market Street
③ ユニオン広場|Union Square
④ メイドン・レーン|Maiden Lane(旧歓楽街)
⑤ ドラゴン・ゲート|The Dragon Gate(チャイナタウン入口の門)
⑥ ウェイヴァリー・プレイス|Waverly Place
⑦ 天后古廟|Tin How Temple
⑧ 中華電話交換局|Chinese Telephone Exchange
⑨ ポーツマス広場|Portsmouth Square
⑩ ベリ・ビルディング|Belli Building
⑪ ホタリング・ビルディング|Hotaling Building
⑫ ベラ・ユニオン|Bella Union
⑬ ヴェスヴィオ・カフェ|Vesuvio Cafe
⑭ シティ・ライト書店|City Lights Bookstore
⑮ ワシントン広場|Washington Square
⑯ コイトタワー|Coit Tower
⑰ フィッシャーマンズ・ワーフ|Fisherman's Wharf
⑱ ハイドストリート桟橋|Hyde Street Pier(古いフェリー桟橋|国立公園)
⑲ ブエナビスタ・カフェ|Buena Vista Cafe
⑳ ケーブルカー|San Francisco cable car system

㉑ ウェルズ・ファーゴ歴史博物館|Wells Fargo History Museum

題材にした映画:

Flame of Barbary Coast(1945)

2022年9月25日日曜日

サンタクルーズ・ミッション【カリフォルニア#342】

ミッション・サンタクルーズ:1791年に設立された12番目のミッション

Santa Cruz: Holy Cross in Spanish

ミッション・サンタクルーズ
1791年9月25日設立
1857年1月9日破壊
1931年11月1日再建

デ・アンザ・トレイルに所縁のある地を訪れるついでに
カリフォルニア・ミッションにも訪れることにした
ミッション・サンタ・クルーズは、21か所あるミッションの12番目で
建てられる順序は南から順番にではなく
例えば、サンフランシスコは6番目で
モントレーの近くのカーメルにあるものは2番目である


サンタクルーズというのは、スペイン語で「聖十字架」(holy cross)を意味する
今ではこの教会のすぐ横にはHoly Crossカトリック教会という立派な建物があって
このミッションは


ミッションについてどう考えるかは
宗教もからんでいるので人それぞれであると思うが
近年では国や州をあげて
この地の古き良き歴史の1ページとして
語り継ごうとしているようにみえる
説明のパネルはたいがい英語・スペイン語併記になっている
そういった歴史や、それ以前に暮らしていた先住民の文化や暮らしは
これから少しずつ学んでいこうと思う

ただいえるのは
カリフォルニアの大きな町が
ミッションの門前町・城下町風に栄えているということと
その建物や醸し出す雰囲気が
やたらカリフォルニアの風景にマッチしているということ
これまでもいくつか他のミッションを訪れたことはある
そうしたところも含めて、ゆくゆくは21か所全部を巡るつもりでいる
まずは、このサンタクルーズ以北のベイエリアに5か所あるのをまずは訪れたい
ギフトショップにいた人の話によると、
カリフォルニア州の小学4年生は
ミッションをどれか一つ選んで調べて、
レポートを書き、模型をつくるプロジェクトが必ずあるそうだ
また、それぞれのミッションでスタンプを集めていくパスポートのようなものもあるらしい





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2022年9月24日土曜日

遠い昔のカリフォルニア州都、ベニシア【カリフォルニア#153】

 【まち】ベニシア|カリフォルニア州ソラノ郡

州議会議事堂(州立歴史公園ー#153)

カルキネス海峡北岸のちいさなまち

カリフォルニアのセントラルバレーを流域とする、北のサクラメント川と南のサンホアキン川は、合流してデルタを形成し、その後カルキネス海峡を通ってサンフランシスコ湾に注ぐ。べネシアは、隣町のバレーホとともにその海峡の北岸に位置する人口約27000人のまちである。

名前の由来

この町は、このあたり一帯の土地所有者であったバレーホ将軍夫人の名前(Francisca Benicia Carillo de Vallejo)に由来する。初めは夫人のファーストネームをとって、「フランシスカ」という名前にしようとしたところ、「サンフランシスコ」と混同しがちであるために、「ベニシア」に落ち着いたという逸話もある。

バレーホ将軍とベニシア夫人

かつての州都(1852年~1853年)

カリフォルニアは、1850年(9月9日)に、それまでのメキシコ割譲地(Mexican Cession)から州に昇格した。メキシコ時代は、海沿いの町モントレーに都の機能があったが、現在のサクラメントに州都が移る前に、サンノゼ、バレーホ、そしてこの町ベニシアで短い期間、州議会が開催された

現存する州議会議事堂(State Capitol)が、この町に残されている。レンガ造りで、二階建ての風格のある建造物で、州立歴史公園に指定されていて、低額の入場料で、中を見学できる。一階は「上院」、2階は「下院」の議事堂になっていて、当時の様子が再現されていた。

各議員の席にはフェルトの帽子が載せられていて、その当時、議事の採決がその帽子の向きによってとられていたとのことだった。

残念ながら、サンノゼとバレーホの議事堂は残っていない。

米国陸軍の弾薬庫と兵舎

市街地のある場所の東側は、いまでは港・工業地域になっているが、ここにはかつて米国陸軍(United States Army)の拠点の一つで、弾薬庫(Benicia Arsenal|1851–1964)と兵舎(Benicia Barracks|1852–66)があった。

当時の立派で風格さえある建物が、かなりよく保存されていて、例えば、この弾薬庫は、「クロックタワー」として、見どころの一つである。

このエリアは、また時を改めて訪れてみたい。

その後、ここはアート系の人が集まる場所となって、たしかガラス工芸などがさかんであったと聞いたことがある。

セントラルパシフィック鉄道連絡船が就航

今回このまちを、訪れてみたいと思ったのは、ここにセントラルパシフィック鉄道(Central Pacific Railroad)の鉄道連絡船があったということを知ったからである。

古い駅舎の跡

1879年~1930年の51年間、このまちベニシアと、対岸下流にあるポートコスタという場所との間を毎日、鉄道連絡船「ソラノ」(Railroad ferry "Solano")が運航されていた(1914年からは、コントラコスタ号(Railroad ferry "Contra Costa")も登場)。その船は当時世界一を誇る巨大な船で、機関車、客車を含めた車両全体を一度に載せて運べる大きさだったらしい。

ファーストストリートの終わりから、対岸のポートコスタに向けて突き出した小さな岬の先の方には、桟橋の土台の支柱だけが残されていて、昔の姿を物語っている。

ポニー・エクスプレス連絡船

岬を訪れてみると、その入り口付近に、その昔、ここは対岸のマルティネスとの間で、ポニーエクスプレスの連絡船が就航していたことを示す記念碑もあった。

ポニーエクスプレス連絡船「カルキネス」

ポニーエクスプレスは、サクラメントまででいったん馬を降りて、残りサンフランシスコまでは船便が普通であったが、船に乗り遅れた郵便は、そのままサンフランシスコまで陸路で運ばれることがあったとのことである。


海峡を背景にしてファーストストリートの様子を描いた壁画

かつての州都ということもあってか、町の並びには一種の気品もある、こぎれいなまちである。

ベニシアのファースト・ストリートの歩道には、この町の歴史を物語るタイルが埋め込まれていた。

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