2022年9月25日日曜日

サンタクルーズ・ミッション【カリフォルニア#342】

ミッション・サンタクルーズ:1791年に設立された12番目のミッション

Santa Cruz: Holy Cross in Spanish

ミッション・サンタクルーズ
1791年9月25日設立
1857年1月9日破壊
1931年11月1日再建

デ・アンザ・トレイルに所縁のある地を訪れるついでに
カリフォルニア・ミッションにも訪れることにした
ミッション・サンタ・クルーズは、21か所あるミッションの12番目で
建てられる順序は南から順番にではなく
例えば、サンフランシスコは6番目で
モントレーの近くのカーメルにあるものは2番目である


サンタクルーズというのは、スペイン語で「聖十字架」(holy cross)を意味する
今ではこの教会のすぐ横にはHoly Crossカトリック教会という立派な建物があって
このミッションは


ミッションについてどう考えるかは
宗教もからんでいるので人それぞれであると思うが
近年では国や州をあげて
この地の古き良き歴史の1ページとして
語り継ごうとしているようにみえる
説明のパネルはたいがい英語・スペイン語併記になっている
そういった歴史や、それ以前に暮らしていた先住民の文化や暮らしは
これから少しずつ学んでいこうと思う

ただいえるのは
カリフォルニアの大きな町が
ミッションの門前町・城下町風に栄えているということと
その建物や醸し出す雰囲気が
やたらカリフォルニアの風景にマッチしているということ
これまでもいくつか他のミッションを訪れたことはある
そうしたところも含めて、ゆくゆくは21か所全部を巡るつもりでいる
まずは、このサンタクルーズ以北のベイエリアに5か所あるのをまずは訪れたい
ギフトショップにいた人の話によると、
カリフォルニア州の小学4年生は
ミッションをどれか一つ選んで調べて、
レポートを書き、模型をつくるプロジェクトが必ずあるそうだ
また、それぞれのミッションでスタンプを集めていくパスポートのようなものもあるらしい





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2022年9月24日土曜日

遠い昔のカリフォルニア州都、ベニシア【カリフォルニア#153】

 【まち】ベニシア|カリフォルニア州ソラノ郡

州議会議事堂(州立歴史公園ー#153)

カルキネス海峡北岸のちいさなまち

カリフォルニアのセントラルバレーを流域とする、北のサクラメント川と南のサンホアキン川は、合流してデルタを形成し、その後カルキネス海峡を通ってサンフランシスコ湾に注ぐ。べネシアは、隣町のバレーホとともにその海峡の北岸に位置する人口約27000人のまちである。

名前の由来

この町は、このあたり一帯の土地所有者であったバレーホ将軍夫人の名前(Francisca Benicia Carillo de Vallejo)に由来する。初めは夫人のファーストネームをとって、「フランシスカ」という名前にしようとしたところ、「サンフランシスコ」と混同しがちであるために、「ベニシア」に落ち着いたという逸話もある。

バレーホ将軍とベニシア夫人

かつての州都(1852年~1853年)

カリフォルニアは、1850年(9月9日)に、それまでのメキシコ割譲地(Mexican Cession)から州に昇格した。メキシコ時代は、海沿いの町モントレーに都の機能があったが、現在のサクラメントに州都が移る前に、サンノゼ、バレーホ、そしてこの町ベニシアで短い期間、州議会が開催された

現存する州議会議事堂(State Capitol)が、この町に残されている。レンガ造りで、二階建ての風格のある建造物で、州立歴史公園に指定されていて、低額の入場料で、中を見学できる。一階は「上院」、2階は「下院」の議事堂になっていて、当時の様子が再現されていた。

各議員の席にはフェルトの帽子が載せられていて、その当時、議事の採決がその帽子の向きによってとられていたとのことだった。

残念ながら、サンノゼとバレーホの議事堂は残っていない。

米国陸軍の弾薬庫と兵舎

市街地のある場所の東側は、いまでは港・工業地域になっているが、ここにはかつて米国陸軍(United States Army)の拠点の一つで、弾薬庫(Benicia Arsenal|1851–1964)と兵舎(Benicia Barracks|1852–66)があった。

当時の立派で風格さえある建物が、かなりよく保存されていて、例えば、この弾薬庫は、「クロックタワー」として、見どころの一つである。

このエリアは、また時を改めて訪れてみたい。

その後、ここはアート系の人が集まる場所となって、たしかガラス工芸などがさかんであったと聞いたことがある。

セントラルパシフィック鉄道連絡船が就航

今回このまちを、訪れてみたいと思ったのは、ここにセントラルパシフィック鉄道(Central Pacific Railroad)の鉄道連絡船があったということを知ったからである。

古い駅舎の跡

1879年~1930年の51年間、このまちベニシアと、対岸下流にあるポートコスタという場所との間を毎日、鉄道連絡船「ソラノ」(Railroad ferry "Solano")が運航されていた(1914年からは、コントラコスタ号(Railroad ferry "Contra Costa")も登場)。その船は当時世界一を誇る巨大な船で、機関車、客車を含めた車両全体を一度に載せて運べる大きさだったらしい。

ファーストストリートの終わりから、対岸のポートコスタに向けて突き出した小さな岬の先の方には、桟橋の土台の支柱だけが残されていて、昔の姿を物語っている。

ポニー・エクスプレス連絡船

岬を訪れてみると、その入り口付近に、その昔、ここは対岸のマルティネスとの間で、ポニーエクスプレスの連絡船が就航していたことを示す記念碑もあった。

ポニーエクスプレス連絡船「カルキネス」

ポニーエクスプレスは、サクラメントまででいったん馬を降りて、残りサンフランシスコまでは船便が普通であったが、船に乗り遅れた郵便は、そのままサンフランシスコまで陸路で運ばれることがあったとのことである。


海峡を背景にしてファーストストリートの様子を描いた壁画

かつての州都ということもあってか、町の並びには一種の気品もある、こぎれいなまちである。

ベニシアのファースト・ストリートの歩道には、この町の歴史を物語るタイルが埋め込まれていた。

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2022年9月20日火曜日

イースタンシエラ紀行❸ ボディ(Bodie)― 本物のゴーストタウン(A Real Ghost Town)

モノ郡の中心都市ブリッジポートにある歴史博物館を訪れて、展示品を見たり、少し情報を仕入れた後、そこから約20マイルほどのところにあるボディという町を訪れた。

この町は、395号線から東にわずかに離れたところにあり、道さえ通じていれば、隣の町はもうネバダ州である。このあたりは、丈の低い草が地面を覆うステップ気候に属する。

今は、州の歴史公園として管理されていて、パークレンジャー以外には住人はいない。

シエラネバダの西側で起こったゴールド・ラッシュが一段落ついた後、このイースタンシエラにも金鉱脈を探す人たちが散らばり、このボディという町は、その中でも埋蔵量が豊富で、かなり長期にわたって鉱山が運営された。

当然ほかには何の産業もない乾燥した高原にこの町はある。全盛期(heyday)には、8500人の人々と、2000軒の建物があったという。現在残っている建物は当時の5%ほどらしい。

太平洋戦争が始まるころまで運営が続いたようで、その後は略奪者や破壊者から街を保存するために尽力した人がいたり、その後、カリフォルニア州が歴史公園として購入したりして、とてもよく保全されている。



あまり形容はしたくないが、無法地帯としても名高かったらしい。


1862年の大洪水|Great Flood of 1862

「カリフォルニアの青い空」で形容されるほど、ここカリフォルニアでは、ひと夏の間、ほとんど雨は降らない。

それでは、雨季である冬はどうかといえば、ここ20数年間の経験からだけでも、降る年もあれば、ほとんど降らない年もあるとしか言いようがない。

カリフォルニアを含めた西海岸では、南部や中西部のように台風や竜巻はめったに発生しないが、数十年に一度の大地震や、数百年に一度の火山の噴火、毎年のように発生する山火事に加えて、100年~200年に一度という「大洪水」の危険にも晒されていることを知った。

1862年の大洪水

時は、1861年のクリスマスの前日。降り始めた雨は43日間止まずに、山の雪を溶かして、セントラルバレーは「内海」と化した。その後、乾くまでに6か月を要したという。

ゴールドラッシュで栄え、州政府のある町サクラメントもほぼ全域が水没し、就任したばかりのスタンフォード知事(第8代カリフォルニア州知事)は、一時的に州政府をサンフランシスコに移した。

Lithograph of K Street in the city of Sacramento, California — during the Great Flood of 1862
Lithograph of K Street in the city of Sacramento, California
 — during the Great Flood of 1862

By Unknown (published by A. Rosenfield (San Francisco)) - http://content.cdlib.org/ark:/13030/tf2b69p086/?layout=metadata, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24511196

大気の川

この雨は、「大気の川」(Atmospheric River)と名付けられている大量に湿気を含んで流れてくる太平洋からの気流がもたらしたもので、この1861年~1862年の時は、500年に一度、1000年に一度という規模で、オレゴン州からカリフォルニア州、ネバダ州全域に被害をもたらした。

昔、サクラメントで大洪水があったことは、なんとなく知っていた。サクラメントはかなり低い土地にあって、ニューオリンズの次に洪水の危険がある場所とも言われている。

そのため、州の歴史のかなり早い時期から、ダムや堤防などの建設に熱心で、またサクラメントの北や西には、川の水があふれた時に逃がすための広大なバイパス水路が設けられていたりする。

今から、ちょうど160年前、東の方では、南北戦争(1861年~1865年)の真っ最中であり、「電信」線が建設され東西に結ばれて、ポニーエクスプレス(1860年4月~1861年10月)を廃業に追い込んだころであった。

次に備えて

必ず来ると言われている「大洪水」に備えて、(詳しく調べたわけではないが)いろいろな機関や団体が、シナリオをつくったり、注意を呼び掛けている。

ここ数年、シリコンバレーを離れて、他の州への移住が進んだが、このところ、サンフランシスコ・ベイエリアからサクラメント周辺への移住も静かなブームになっていると聞いた。

この過去の出来事を踏まえて、次に移り住む場所の立地を考えてみてはどうかと思う。


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2022年9月19日月曜日

インターステート50号線と60号線なんてものはない

 "There is no such a thing like Interstates 50 or 60."

 「ある」ものがあることを証明するのは簡単だが、「ない」ものをないと断定することは、時には難しい。

ある日、全米の地図をみていると、ふと「I-50I-60がない」ことに気がついた。

インターステート(Interstate)というのは「州間道路」のことで、一般に州境を越えて延びる。主な道路は、I-5I-80のように一桁か二桁で、とくに0か5で終わるもの。偶数で終わるのは東西に延びている。

これまでに、全区間ではないが、I-40I-70I-80I-90は走ったことがあるから、東海岸の方に行けば、I-50もI-60もあるにちがいないと漠然と考えていた。

ところが、これらは、「実在しない」ことがわかった。計画にもあげられていない。理由を簡単に言えば、前のハイウェイシステムと混同しないように、との配慮らしい。

たしかに、USハイウェイ50号線は、カリフォルニア州のサクラメントから東海岸まで大陸横断していて実在する。USハイウェイ60号線も、アリゾナ州から東海岸まで続く。

この答えを見つける過程で、ワシントンDCの近くに「I-66」(66号線)なるものがあるのに気付いた。ごく短い区間ではあるが、これにも少し「いわく」があって、本来の計画では、もっと長いものになるはずだったそうである。

実在するI-66のシールド
Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=683184

ところが短くなった理由の一つに、あの歴史的なマザーロード「ルート66」(シカゴ~ロサンゼルス)と混同を招くかもしれないというのがあったようだ。

そうこうしているうちに、「おすすめ」に「Interstate 60」という映画が入った。実在しないI-60をテーマ・舞台にした映画である。必見というには程遠い映画ではあるが、『ハリーポッター』にでてくる「9と4分の3番線」や、『銀河鉄道...』的な発想はいいなと思った。

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2022年9月18日日曜日

わが町のリンカーンハイウェイのサイン

 


イーストベイの北半分を、I-80と平行してはしるサンパブロ・アベニューは、

  • SR123(オークランドのI580~リッチモンドI-80の区間)


とも言い、かつては、
  • リンカーンハイウェイ
  • Old US40

とも呼ばれた幹線道路であり、さらには

  • デアンザ探検の歴史的トレイル

としても記念されている。わが町エルセリートも通る。

少し前に、この道沿いにリンカンハイウェイの特徴的な赤・白・青のサインがあるのに気がついた。反対方向にもどこかにあるはずだと思って探していたところ、なかなか見つからなかった。

今回散歩のついでに、みつけておいたサインを写真に収めて、帰ろうとして、ふと道路の反対側を見ると、それらしくもあり、それらしくもないものが目にはいった。

実際に道を渡って確かめると、たしかにそれだった。ただ、サインが南側を向いているせいか、無残にも色あせたものだった。


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「インターステート238号線(I-238)+カリフォルニア州道238号線(SR238)」の不思議な番号付け

 


カリフォルニア州のサンレアンドロとカストロバレーの間には、短いインターステート238号線(州間道路:I-238)がある。

I-80は、サンフランシスコからベイブリッジをわたるとすぐに、メイズ(maze:迷路)と呼ばれるインターチェンジで本線から、サンノゼ方面のI-880と、I-5につながるI-580とに分岐する。この2本の支線をI-238で繋ぐかたちになっている。

SR238は、カストロバレーのI-580とフリーモントのI-680をつないで、ヘイワードを縦断する州道である。フリーウェイにする計画もあったらしいが、その計画はなくなっている。

地元民にとっては、当たり前に利用している幹線道路の一つであるが、この番号付けは、どうやら、全国でも例外的なものらしい。

一般に、インターステートと呼ばれる州間道路には、基本的な番号付けシステムがある。

  • 南北に走るものは奇数で、西から東へと番号が大きくなる
  • 東西に走るものは偶数で、南から北へと番号が大きくなる
  • 本線は、数字が1桁か2桁(I-80など)
  • 支線は3桁で、本線の前に数字が1つ付く(I-580、I-880など)
さて、3桁であるI-238は、「本線I-38の支線である」といきたいところであるが、I-38は、実在しない。

本来ならば、I-〇80となるべきであるが、そうならなかったのは、実のところ、この区間が州間道路システムに組み込まれた時点で、使える適切な番号が残っていなかったことが理由の一つのようである。

実際には、もう少し経緯があるようだが、省略する。

2022年9月9日金曜日

ネバダシティ|ビクトリアン・クリスマス


サクラメントから北東に約1時間
シエラ・ネバダの山麓を走る州道49号線沿いにある
かつてゴールドラッシュで栄えた街
小さな街ながら、ネバダ郡の郡庁所在地として
沿線で栄えた街のなかで最もよくその街並みと雰囲気が保存されている
市街地の建物はほとんどが史跡に登録され
造りはサンフランシスコによくみられる
ビクトリア風の様式
案内所の人によれば
ミシシッピ川以西で
唯一ガス灯がともる街並みだそうだ
この季節の週末は
「ビクトリアン・クリスマス」のイベントが
ここ40年くらい催されているという
かつて栄えたゴールドラッシュの町々には
廃墟となったところや
大きくなりすぎて近代化されたところもある
このネバダシティは町の大部分が条例で保護されていて
おそらくこれからもこの規模と雰囲気のままであるとおもう
この季節を過ごしたい街をまた一つ見つけた!

ルート49沿いの町 ― オーバーン|Auburn, California


ゴールド・カントリーと呼ばれる9つの郡を横切ってはしるルート49。別名、ゴールデン・チェーン・ハイウェイともいう。

オーバーンは、サクラメントからネバダ州リノに向かう州際道路80号線とこのルート49が交差する場所にある。80号線はサンフランシスコから、ニューヨークのマンハッタンまで続く道で、通過する車の数は多いおかげもあって、この町はよく栄えている。

大きな石造のあたりで写真をとっていると、かつての金鉱労働者の風采をした2人の老人がなにやら語りかけてきた。どうも機械のことを説明してくれているらしいが、よく聞き取れなかった。

今回は、オールド・タウンと呼ばれている場所を一回りしただけだった。レストランなどでは、外で食事を楽しむ人たちも多くみられた。

ある一つの建物に、かつての日系人の痕跡をみつけた。1918年~2007年のあいだ、広島出身の「ツダ・ファミリー」がここでスーパーを経営していたそうだ。戦中はやはり収容されたとのこと。

暑かったせいもあって、新しいダウンタウンのあたりは見ないで、次の町コロマへと急ぐことにした。