2024年12月25日水曜日

おけいさんのお墓のわきにあるもう一つのメモリアル

ジョアン・バルソッティ|Joan Barton Barsotti (1939-2010)

おけいさんのお墓のわきには、もう一つのメモリアルがある。

碑文には、次のようにある。

ジョアン・バートン・バルソッティ
を追悼して
エルドラド郡
ピープル・トゥ・ピープル・インターナショナル
カリフォルニア支部より
2014年10月12日
この場所には、ジョアンとオケイの間にあった
魂の絆が存在する

In Remembrance of 
Joan Barton Barsotti

From El Dorado County, California Chapter 
of 
People to People International
October 12, 2014
A Spiritual bond exists in this place between 
Joan and Okei

 

このジョアンさんは、コロニーのあったゴールド・ヒルから近い町プラサービルの近郊カミノに住んでいた児童文学作家である。この場所に北アメリカ初の日本人コロニーがあったことに興味を抱き、長年研究をしたうえで、歴史小説『Okei-san|おけいさん』を書いた人である。

ここ数年間、毎年のように訪れていて、この碑があることには知っていても、とくに気にはとめなかった。今回訪れたときに碑文を読んだとき、聞き覚えのある名前だということに気づいた。

持参していた本の表紙をみると、まさに、その本を書いた人の名前が刻まれていた。今年の春から夏にかけておけいさんに関する本を買い集めたりしていたうちの一冊であった。

ジョアンさんが書いたこの本のタイトルは、次の通りである。

おけいさん|
ある少女の旅、日本からカリフォルニアへ、1868~1871
Okei-san|
A Girl's Journey, Japan to California, 1868-1871

コロニーを守るために活躍した人たち

この場所の歴史を知るためのツールとして、若松コロニーのあるエルドラド郡の小学生の読書プログラム(必読書?)に入っていたりするようである。小学4年生の遠足(Field Trip)の行先としても選ばれているそうだ。

 

このコロニー跡を現在管理しているのは、American River Conservancy という団体で、それ以外にも、Gold Hill Wakamatsu Foundation と、El Dorado County California, Chapter of People to People International が、この場所の歴史的な価値を守るために活動してくれている。

いろいろな人たちや団体の思いがなければ、この若松コロニーも、単なる私有地になっていたか、荒れ放題になっていたかと思うと、感謝するほかない。

日系人から見れば、遠い昔にはるばると海を越えてやってきた「祖先たちの歴史」であるが、地元アメリカ人から見たら、自分たちの「郷土史」でもあることも思い知らされた。

バルソッティ・ジュース農園

ちかくの石に腰かけて思いを巡らせていると、見学に来ていた人たちが近くにきた、タイミングを見計らって、この史跡と書籍の関係を話すと、逆に、その人たちから教えられたことがあった。

それは、このバルソッティ家は、プラサービル(近くの大きな町)の東の方で、リンゴ農園を経営していて有名だよ、ということだった。このあたりは、リンゴ農園がたくさんあって、「アップル・ヒル」とも呼ばれている。

おそらく、この農園(バルソッティ・ファミリー・ジュース・カンパニー)のことだろう。アップルサイダーをはじめ、いろいろな果物ジュースの商品は、ベイエリアでも手に入る。

その後、季節がらもあってアップルサイダーを買って、おけいさんと、ジョアンさんに思いをはせながら飲んでみた(写真は、同農園のニンジンジュースで、すぐ近くのスーパーに並んでいたもの)。



Barsotti Juice Farm





2024年12月24日火曜日

Old Shasta|オールド・シャスタ - ① Western Star Lodge

 5号線を離れて、レディングのダウンタウンを抜けて、299号線を西に十数分走ると、半ばゴーストタウンの古いシャスタがある。

まちの名前は「シャスタ」なのに、オールド・シャスタと呼ばれている。それは、いまシャスタといえば、そこからもっと北にあるマウント・シャスタのことを指すからである。

このシャスタのまちこそが、古くはシャスタ郡の中心であり、このへんでは最も栄えた場所だったようだ。いまは、その役割がレディングに移っている。

このオールド・シャスタは廃墟も含めて主な部分はステートパークが管理している。その中に、説明書きをみなくても、見る人がみればすぐにわかる建物が一つある。フリーメーソンのロッジである。銘板をみるとカリフォルニアで一番古いロッジということらしい。

地図をみると、まわりは全部パークでも、この建物だけは私有地になっていた。

ウェスタン・スター・ロッジ

銘板をみると、変わった年号の表記「AL5848(1848)」「AL5998(1998)」に気がついた。西暦が併記されているので、すぐに意味はわかるが、念のため、帰ってから調べてみると、ALとは「Anno Lucis」(in the Year of Light)の意味だそうで、西暦に4000年を足したもの。

一般的に使用されている西暦の意味のADは「Anno Domini」(in the Year of our Lord)。


暦の話は、いろいろと複雑になるので、これ以上の深入りはしないでおきます。

150年を記念して設置された記念碑

道路をはさんだ廃墟から見たロッジ

2024年11月3日日曜日

秋の味覚~KP Asian Market~KONOコミュニティ[オークランド]

秋の味覚を求めて、というわけでもなかったが、久しぶりにオークランドの韓国スーパーにでかけた。このスーパーは、もとは「プサン・マーケット」といって、イーストベイのこの辺ではなじみのある一番大きな店である。今は、「KP Asian Market」とか「Koreana Market」と呼ばれている。

大粒の柿を発見→衝動買い

さて、このマーケットの玄関先には、いつも旬の果物や根菜がばら売りで並んでいて、そこに立派なカキが並んでいるのに足を止めた。一つは甘柿、もう一つはおそらく渋柿であろう。その大きさは、Costcoやほかのスーパーでよくみかけるもののよりも一回り大きい。

どうしようか迷うことなく、そのあとに訪ねる家の手土産もかねて、袋につめた。店の中に入ると、同じ柿が袋入りで売られていて、こちらの方が安いかもと思いもしたが、計算が面倒だったので、そのまま、ばら売りのものを買った。

渋柿?
甘柿(富有)
大きさ比べ~左側が今回みつけたもので、
右側が先日Costcoで買い求めたもの(標準サイズ?)

今回は実は、野菜・果物の干物を作るための「干し網」を探しに出かけたものだった。これまでは、ダイソーで買い求めた丸いのを、時々使っていたが、出し入れ口が狭いのがわりと面倒だったので、大き目で出し入れもしやすいものが欲しいと考えていたところだった。

 

今年初めの能登地震からはじまり、地震に関することを調べたり、この春には、カリフォルニアで地震の痕跡が残っている場所を実際に訪れたりしていた。それがだんだんと、水の問題、食料の問題などに発展して、目下、「保存食」(瓶詰め・乾燥)について結構調べたり、実際に試したりしている。(これについては、別途に投稿をする予定)

いつものように店内を一周して、あったら買いたいと思っていた商品を探したが、時代の流れか、昔あったものが今はもうなかったりして、すこしだけさみしさを感じたりもした。

テレグラフ通り

オークランドのダウンタウンとバークレー大学の南門をまっすぐにつなぐテレグラフ通り沿いにあって、道幅はそれほど広くないが、おそらく昔からのメイン・ストリートである。バークレー大学(カリフォルニア大学バークレー校)の南門前は、学生や訪れる人たち向けに小さなレストランやコーヒーショップ、雑貨店、書店などが乱立して、いつも賑わっている。

もう少し南に下って、鉄道BARTのマッカーサー駅に近いところは、韓国料理の店がけっこうある。さらに南に下って、オークランドダウンタウンに近くなると、また別の韓国の店が集まっていたが、多少寂れかけていた地区があって、この韓国スーパーは、その地区内にある。

小一時間、スーパーに並んでいるものを見て、レジを済ませて外に出ると、違和感。駐車場がほぼ閉鎖されている。警官に近い扮装のガードマンらしい人たちの数も増えていて、いっしゅん、何か事件でも起こったのかと思った。

そのガードマンに誘導されて店を出ると、駐車場にはもう入れなくなっていた。いつもは通らない狭い道を通って大通りにでると、テレグラフ通りは、お祭り(ストリート・フェア)の準備のような様子で、毎週金曜日は、いつもそうなのかなと考えていた。

そういえば、おそらく2、3年前にも、午後このあたりを訪れると、まったく予想しなかった渋滞や、通行止め、一方通行に悩まされたことがあった。

KONOコミュニティ

帰宅してから、念のために調べてみると、数年前から、毎月第一金曜日の夕方、ストリート・フェアが実施されているとのこと。主催はKONOコミュニティという団体のようで、KONOというのは「Koreatown Northgate」(韓国街北門)の略らしい。

オークランドといえば、ベイエリアでは、むかしから安全性に欠けることで、敬遠する人が多かった。少し前のダウンタウンはよほどのことがない限りは、出かけたくない場所の一つだったが、ここ数年か、十数年の市の努力が実ったのか、美観的にも、安全性の面でも、かなり回復したような印象がある。

ダウンタウンから見て北側にあるこの地域の再発展は、(あまり詳しく調べていないが)この団体の貢献が大きいようだ。

このストリート・フェア、優先順位としてはそれほど高くないが、いずれ一度は訪れてみようと思う。


だいたいの生活用品や食品の買いものなら、いま住んでいる町とその隣町のバークレーやリッチモンドで間に合うが、たまに、その生活圏内を一歩出ると、面白い発見や出来事があるものだと思った。


2024年10月23日水曜日

City Walk|バークレーのサークルとトンネル|The Circle and Northbrae Tunnel, Berkeley

バークレーを南北にはしるシャタック通り(Shuttack Avenue)を、ダウンタウンから北に向かって道なりに走ると、通りの名前は、ヘンリー通り(Henry Street)、さらにサター通り(Sutter Street)と変わり、トンネルのある場所に出る。このトンネルがノースブレア・トンネル(Northbrae Tunnel)で、それを抜けるとまた名前が変わってソラノ通り(Solano Avenue)となる。



◉ノースブレア・トンネル|Northbae Tunnel

このトンネルの近くに車を停めて、あたりを歩くことにした。このトンネルは、かつてイーストベイを走っていた路面電車用のトンネルで、ちょうどこのあたりに駅があったらしいが、今では痕跡は何も残っていない。

このあたりをシティと呼ぶにはどうかとも思うが、ずっと前に、このあたりが街の中心になるという計画があったということを聞いたことがあった。実際には、もっと壮大で、1900年代のはじめごろこの場所が開発されたのは、サクラメントからここバークレーに州都を移転するかなり有力な案があったからなのだそうだ。日本でいえば、首都移転計画である。

それを念頭に置いて、このあたりの通りには、カリフォルニア州の郡の名前が付けられているとのことである。言われてみれば、このあたりの道は、ダウンタウン付近に多い人名由来ではなく、ざっと幹線道路だけでも、サター(Sutter)、ソラノ(Solano)、マリン(Marin)、モントレー(Monteley)、コルサ(Colusa)など、州の郡名にちなんだ通りの名前となっている。

今のカリフォルニア州や、メトロポリタン化したサクラメント(Sacramento|現在の州都)、それに学園都市として繁栄しつづけているバークレーの様子を見れば、ここに州都が移転した様子はどうも想像しがたい。

◉ファウンテン・ウォーク + ザ・サークル

トンネルの中も歩くことはできるものの、今回のテーマからずれるので、まずは、サター通りからトンネルの上に出る石段のファウンテン・ウォーク(Fountain Walk|噴水歩道)を登った。その先は、ザ・サークル(The Circle)と呼ばれている交差点である。サークルの真ん中には3匹の熊が器を支えるような形の噴水がある。

この噴水は1911年に建てられたが、1957年に事故で壊れたらしく、今あるものは1996年に復元・再建されたものである。

6つの道が交差するラウンドアバウト式(|環状交差点)の交差点で、交通量はかなり多い。

このタイプの交差点が増えてきたようにも思う。バークレー・マリーナの交差点では、つい最近これが採用された。いま現在、I80のギルマン(Gilman Street)出口周辺は工事で通行止めになっているが、この出入り口もこのラウンドアバウト式になるようである。

すこしの間、様子を見ていると、われ先にとどんどん交差点に入ってさっさと自分の進みたい方向に行く人や、その流れについて行けずになかなか交差点に入れない人、自分の方が先だとクラクションを鳴らす人、他の車にばかり気を取られて、歩行者に気付かない人などが見られた。

◉ソラノ通り

このサークルから、丘を降りるようなトレイル風の道をソラノ通りに向かった。ソラノ通りの東半分は、隣町のアルバニーではなく、バークレーに属する。いつ通っても混雑しているザカリーズ・ピザ(Zachary's Pizza|シカゴ風のピザ屋さん)や、かつてこのあたりの娯楽の中心であったと思われる廃館になった「まちの」映画館などがある。

小さな町には、たいてい中心部には映画館があった。そんなまちの小さな映画館の廃業が目立つ中、ちなみに、ソラノ通りのアルバニー側にあるもう一つの「まちの」映画館は現在も興行中である。

この通りを初めて訪れたのは渡米して間もないころ、いろいろな場所を案内してもらったときのことで、他の場所はあまり記憶にないのに、この通りだけは、片道1車線なのに、かなり広く、その整然としたようすが印象深く残っている。

◉ インディアンロックとモーターロック

メキシカンの店で、オㇽチャータ(horchata)という好物の白い飲みものを手に入れて、トンネル方面には向かわずに、ソラノ通りの延長線上にあるインディアンロック・パス(Indian Rock Path)の緩い坂道を上ることにした。途中3本の道を横切ると、インディアンの「岩」に突き当たる。

 

ここに初めて来たのももう20年くらい前になるが、いつもは岩のすぐ脇に車を停めることが多く、この小径を歩くのは3、4回目だろう。住宅街を貫くこのタイプの小径は、起伏の多いサンフランシスコや、バークレーのこの付近にはいくつもあって、車道沿いを歩く時の喧噪を忘れて散歩するにはもってこいである。

インディアンロックには、いつ来ても必ず先客がいて、最近はロッククライミングの練習に若者たちが集ったりしている。このあたりには、ここ以外にいくつもの「ロックパーク」がある。今回は岩の上には登らずに、そこからすぐ近くにあるモーターロック・パーク(Mortar Rock Park)向かうことにした。

なぜ「モーター?」という疑問があったが、説明文を読んで、つづりをよく見ると、「moter」ではなくて、「臼、すり鉢」の意味のある「mortar」だった(残念ながら、私の耳では聞き分けられない)。昔、このあたりに住んでいた人々(先住民)が、木の実をすりつぶしたり、貯蔵したりするために、利用したとされる、岩のくぼみが残っていることに由来するらしい。

ここには、下の方でロッククライミングをする人以外には、岩の上には人はいなかったので、登ってみた。どの方向も木で覆われていて、インディアンロック程度の眺めはないが、かろうじて、トレジャーアイランド方面が木の隙間から覗かせていた。しばらくくつろいだ後、岩を降りようとするのと行き違いに登ってくるひとたちと出会った。

ここからもう少し北側と西側のサウザンドオーク地区は、かつての行楽の場所で、トレイルなどもあって、シティ・パークにするという案もあったらしいが、どうも開発業者の方に軍配があがったらしい。

◉シャタック通りへ

訪れた2つのロックパークはどちらもインディアンロック通り沿いにある。大学のすぐ西側を通るオックスフォード通りとシャタック通りはちょうどこのあたりから発している。そのシャタック通りを通って、丘を降りて、車を停めた場所に戻ることにした。


イーストベイもこの辺は、夏の間も暑くなく、むしろ涼しい日も多い。冬の一時期を除けば、それぞれの家が競うかのようにいろいろな花や木を植えて、通りを歩く人の目を楽しませてくれる。

何げなく通過するだけだった街角や景色も、忘れ去られようとしている歴史や由来を知ると、違って見えてくるものだ。


2024年8月13日火曜日

イースタンシエラ紀行❹ ビショップ(Bishop, California)

出迎えてくれたのは消防車

宿泊先に夕方予定通りに着くと、ちょうど泊まる部屋の前に消防車が2台停まっていた。町中でよくかける赤い消防車ではなく、山火事に派遣される緑色系のものだった。


道中も煙が見えたりしていたので、とくべつ驚きはしなかったが、この2台を含めて町中には他にも何台もの消防車と、隊員たちの姿があった。その姿には、緊張感とあわただしさが見えた。

消防隊員というと、どうしても大男たちを連想してしまうが、ここに待機していた隊員たちは、いくぶん小柄な人たちだった。

いつでも発進できるようにか、エンジンはずっとかけっぱなしだった。時々、隊員のリーダーとみられる人のところに無線の連絡が入る。

結局は、一晩中、待機状態が続いて、エンジン音を聞くことになった。よい加減のホワイトノイズである。次の日の朝になると、宿の前からはいつのまにか消防車の影は消えていた。

テキサス・バーベキューの店のシンボル「ローン・スター」

テキサス・バーベキューの店のシンボルは「ローン・スター」(Lone Star)だった。「ローン・スター」というのは、テキサス州のニックネームである。



テキサスからは相当離れてはいるが、395号線のこのまちビショップから南は、背景に迫りくる山の雰囲気や、岩の多い地形など、西部劇の香りがする。実際、ビショップから南に数十マイルのところにあるローン・ツリーというまち(今回はスキップ)の近くの「アラバマ・ヒル」という場所は、西部劇をはじめ、宇宙物の映画の撮影場所だった。そこで、このローン・ツリーという町には、映画博物館があり、まいとし映画祭も開かれている(たぶん今も)。

ビショップと紅葉

さて、ビショップというまちやその周辺がお気に入りの場所になったのは、約十年前、秋も終わるころラスベガスに行く途中に立ち寄ったのが、その始まりである。

10月も終わろうとしている頃は、ビショップ市内にたくさん植わっているイチョウ(銀杏)の木が黄色に色づき、町全体の空気が黄色にそまったような感覚がした。

あらかじめ手に入れていたのか、その時にビジターセンターでもらったのかは、よく覚えていないが、「紅葉マップ」というのがあって、このビショップからも、山の方に登っていくと、アスペンやコットンウッド(どちらもポプラ属の木)の黄色やオレンジや赤がみれることが判った。

ただし、残念ながら紅葉前線みたいなものがあって、その時にはもうその前線は通過した後だった。見ごろのころにまた来ようと決心した。

今回の旅では、季節は初夏なので、紅葉とは程遠いが、それなしでも山と湖の景色はすばらしい。










紅葉の季節には、湖沿いがオレンジ色に染まる。

幾度か訪れたまちではあるが、行きそびれた場所がいくつかあるので、また出かけたい場所でもある。

レッドウッド・ハイウェイ⑥ クレセント・シティの灯台|Redwood Highway - Crescent City Lighthouse


「レッドウッド・ハイウェイの旅」の終着点はクレセント・シティ。

この町は、北にあと20マイルほどでオレゴン州という位置にあって、カリフォルニア州の西海岸で最北の町といえる。

岩の多い海岸の小さな灯台のある場所は、潮の高い日には「島」になるそうで、そんな日には、島まで歩いていくのが制限されるようだ。幸い到着時はちょうど引き潮だった。

この町は1964年に発生したアラスカ大地震(M9.2)のときに、津波の被害をうけたまちということでもわりと知られている。M9.2といえば歴史的にも最大級で、このクラスの地震は世界で100年に数回しか発生しないそうだ。

同じ国内とはいえ、情報網や津波警報のなかった時代においては、震源は遠く離れた場所で、揺れどころか、まったくなんの前触れなしに津波が押し寄せたことになる。

その記憶を忘れないためであろうか、再来に備えるためであろうか、「青い波」の標識や、歴史をつづった情報パネルを何枚も見かけた。

この町にあるレッドウッド国立州立公園の案内所の中庭の隅に、ここが「世界遺産」であることを示す銘板を見つけた。アメリカでは、国立公園のパワーが強すぎて、世界遺産と聞いてもピンとこないことが多い。

ここから近いところ(西部)でいえば、ヨセミテ、イエローストーン、グランドキャニオンも世界遺産に登録されているらしいが、その認識は残念ながらほとんどなかった。

あまり人目に付かない場所にあったその銘板は、登録以来まだ40年そこそこしか経っていないのに、古い遺跡であるかのように風化が進んでいるようにも見えた。

 

 

 

この灯台は、カリフォルニア州の史跡に登録されている。

***

2024年8月11日日曜日

イースタンシエラ紀行❻ ビショップのパン屋さん|A Famous Bakery in Bishop, California

早朝の時間を山の奥の方にある湖で過ごした後で、チェックアウト前に少し遅めの朝食をと、知っているつもりで店に入ると、そこには、思いがけずたくさんの人たちと、ある種のにぎわいがあった。ダイナーではなく、そこはベイカリーだったのだ。

それほど広いとは言えない店内には、焼きたてとみられるパンが所狭しと並べられている。パンを売っているセクションをはじめ、デリーセクション、お菓子類、お土産品など、いろいろな場所で、それぞれの列ができている。

町中にはそれほど多くの人の姿はないのに、注文を待っている間も、外のテーブルで食べている間も、駐車場には、どんどん車が来て、たくさんの人たちがつぎつぎに集まってくる。

外観・目印

店内の様子

隣接している店


おそらく同じオーナーの酒屋さん(準備中)


多分同じオーナーのスムージー屋さん




後で気がついたことだが、マンモスレイクスにも似たような名前のベーカリーがあって、一度入ったことがある。なかなか、そこも賑わっていた。

おそらく、兄弟か親戚がやっているものだろう。

(写真が見つからない)